こんにちは。
篠宮紫穂です。
ウィタセクストピアをいう店をもうすぐ12年することになる。
HPの右端のところに
【SMとわたし】だっけ?
なんかそんな項目があって、そこに
SMにめざめたきっかけとか
好きなプレイの話とか
そんなよく聞かれるからめんどくさいのでまとめたページがあって
でもネット上では書けなくて言えないことも多いから
はしょってる部分も多いのだけれど
それを書いたのが4年ほど前なので
そういえば、
更新したことがありましたね。
tattooです。
最後に彫ったのが、
mementomori(メメントモリ)と自分で彫ったと書いていた。
ラテン語で「死を想え」と有名な言葉で好きな言葉。
座右の銘ってよくわからないから自分からは言わないけれど、これをいうときもあれば
聖書における聖パウロの手紙のなかで
「流血なくして容赦なし。血をみるまで許しは乞ず。」ってのがあるらしい。
(らしいというのは、わたしは聖書を何度か暇なときに
読もうと頑張っても途中で飽きて、完読できずにいるので
その言葉がどこにでてくるのか分からず、
大好きなパゾリーニの映画「ソドムの市」でそういったセリフが
できくるのを覚えていて、その言葉はよいな、と思って
覚えているだけなのだ。)
まさに、この言葉が、わたしを満足させたい
わたしを喜ばせていと思っているなら
マゾには覚えてもらいたいからだ。
だから、この言葉を座右の銘というか
好きな言葉をしていうときもある。
わたしは、
「ああ、恥ずかしい姿見られて興奮してもうこんなになってかわいいね」
とか言ってるけど、本心では全然思ってないし
そう言って欲しいと思うからいってるだけでこれ仕事だからな?
ってかんじ。
ほんとうは、
流血なくして容赦なし。
というか、流血してからは本番じゃないの、とさえ
思っている。
と、話もそれたが(だいたいわたしは、文章を書くとすぐに脱線する)
tattooだ。
tattooが更新された。
もはや、もう彫らないだろうとも思っていたが、
結果
彫るとまた彫りたくなるものだ。
コロナの初期の頃
2020年4月、5月ごろ、緊急事態宣言で
お店も休んでとても暇になっていたころ。
暇だし、tattoo彫ろっかなー----------
みたいな。
わたしの、自分で彫ったもの以外は、
19歳のときから、約10年、同じ彫り師さんにいれてもらっていた。
わたしより、少し年上の綺麗な女の人だった。
でも、10年前に、ドイツに移住してしまって
わたしは、わたしの皮膚を綺麗にしてくれるひとを失った。
それもあって、tattooへの興味も薄れた。
しかし、彫師としても、人間としても好きなひとはたくさんいる。
だから、そんな方のひとりにお願いして、
新しくいれることにしたのだ。
今、わたしの脚には蛇の鱗が
両足、膝から上おしりの下まで
いる。
とても気にいっている。
しかし、まぁ数回で終わるかな。と思っていたが
いくら天才でも
というか天才ゆえにめちゃめちゃ繊細でグラデーションもえぐくて
とても時間がかかりそうなデザインにしてくれたので
春が終わり
夏が来て
やっとおわったのは、2020年の
秋だった。
もうすぐ冬かもしれない。
そんな、コロナで店を休んでいてときの
エピソードその1です。
結果
さきほども言ったように
また彫りたいとか思っている。
SMプレイや恋愛も
「このひとだけ」というのもいいだろう。
tattooも「このひとだけ」に彫ってもらうのもいいだろう。
でも、好きやリスペクトはいろんな形である。
そんな彫師はほかにもいるし
職人として技術のすごい人や
魂が熱く、その命に触れてみたいような人や、
美しいその時間を共有していたい人や
いろんな人がいて
いろんな「好き」があって
好きを分散することは悪いことじゃないからと
通ずるもはあるだろう。
好きの分散については
「依存」を効率よく薄めてくれるので
ほんとうにおすすめだ。
そういえば、わたしは
それがうまくできているから
なにかを失っても悲しくこともなく
なのでなにかをはじめることにも臆病にもならず
綾波レイの魔法のことばは
「わたしが死んでも代わりはいるから」は
「あなたが死んでも代わりはいるから」であり
もちろん
代わりはいないけれど
それくらいの気持ちでやってないと
身がもたないし
そういい聞かせたい
綾波の心の安定の呪文なんでしょう。
しかし、「依存」をしっかりと間違えないひとには
好きの分散などすることもなく
愛し貫けばいいでしょう。以上。
2022年のつぶやき終わり。