来年から、ちゃんとブログかこうと思うんです。
あんまり誰も見てないけれどね。
あと、1年と7か月でwitasexutopiaは無くなるので
なくなったあと、ぶっちゃけTwitterもうええかな
って思ってるから
ブログかく~~?
しょうもないことのためにTwitterは置いといて
猫がどうとか
こんな料理食べたとか
この前手袋落としたみたいで自転車で走行してたら
イケメン若い男の子が全速力でおいかけてくれたから
彼の魂は死後天国にいけますようミカエルにお願いしたこととか
そんなことのために
Twitterは必要??
と思ってもいます。
でも、以下のようなことを先日思ってって話は
Twitterの140文字では難しいし
それこそブログですね。
以下のこととは、以下です。
↓、
この前、寒いなぁと思ってぼーっと外にいたら、
急に閃いて、夏と冬におけるfetishismの違いから、
鞭はもちろん冬に寄っていて
縄は夏側にだいたい居て
(でもたまに急に冬側に来たりする)
夏はエロスで冬はタナトスってところまできてました。
その論理を展開すると
猫は、夏側だと思うし
猫と猫と境界線は曖昧だから
それは夏と人間もそうなりがちなんですってところまで
論理がまとまった。
しかし、去年から猫を飼ってからというもの、
思考が猫を気にするように随分となってしまいました。
猫のために、極力ものを捨て
猫のためのものを買い
猫のために、毛布や布団も全部買い替え
猫に支配されないように
素朴実在論を取り入れようと思うと、猫に支配されなくなりました。
これは便利と多様化していこうと思います。
つまり、いま、ブログをかいている間、
わたしには猫が見えないので
見えないものは存在しないという思い込みをすることです。
そうすると、
意外と
猫が存在しない時間のほうが長いので(睡眠時も)
だいたい猫は居ないことになりました。
とまぁ、だいたいそんな話なんですが、
そんな話をかいていて、大概、わたしには意味がわかるけど
これは他人が理解できるのか?同意できるのか?
と悩ましい気持ちになりました。
なお、
Twitterにこれをなるべく140文字制限内でつぶやいてみたが
なんの反応も得れませんでした。
唯一、一人だけ、
素朴実在論をググってみました、と言ってくれたが、
ほんとうの哲学でいうところの素朴実在論とは全然違う
わたしの都合のよい解釈でジョークみたいなものなので
信じないでほしいです。
パルメニデスの「あるものはる。あらぬものはあらぬ」
て有名な言葉が好きなんですが、
(それも都合いいから)
しかしながら、その論理で展開すれば、
猫は常にあるので、わたしがどこにいようと存在することになってしまうから
その矛盾をつつかれたら反論の余地もないので
やはりジョークです。
なぜ都合がいいかって話になるとまた話がいろいろ脱線していきそうだから、
やめておこうかどうか悩ましいけれど、
ただ誰も見ていないブログと思えば書いてもいいかな。。。。
いや、どうだろう。
そもそもブログとは??
読んでもらうためにかくのか?
自分の記録のためにかくのか??
読んでもらうためなら、もっと役にたつことをかけばいいだろう。
自分の記録のためにかくなら、なぜ、パルメニデスが都合よかったのかなんて
もうすでに知っていることだから、書く必要もないだろう。
というわけで、ブログの練習【0】おわりです。
次はちゃんとお店のこと書くね。